
ブルーメの丘、オマツリピクニックに参加してきました。
春らしい天気と聞こえてくる歓声と音楽
様々な出店の品々を片手に歩く人たち。


そのひとつにSó Aquiの珈琲たちが見えると
やっぱり嬉しいし楽しい😄
来ていただいた皆さま
ありがとうございます😊
ご一緒しました出店者様方もありがとうございます!

Makiちゃんが撮った[雲の木]

そして
帰った翌日も自宅前にて早速営業。
[とろ~りのびるチーズパン]に
[ピザソース]をトッピング
香りから既においしいです🤤

-明日ありと思う心の仇桜-
カフェで手渡す一杯もまた同じ

-おまけ-
春休み最終日に矢橋帰帆島公園へ遠足に行ってきました😊

久しぶりに行ってみると長い滑り台など、いくつかは使用禁止になっていました🥲
しかも4番目、5番目の二人は超がつくほどの怖がり屋さんで遊べる遊具無くね⋯と
雲行きが怪しい始まりでした。
案の定、姉は高さ30㎝の位置での揺れに驚くほど怖がって
遊ぶどころじゃない笑
が、弟は恐る恐る上り
小さい塔の上までたどり着いていました😮
大きい塔はさすがに高かったからか、下の方で断念して戻ってきましたが。
その後いろんな所で遊んで、お弁当食べて、遊んでお茶飲んでを繰り返し
〈撮影の邪魔をする足(踏まない優しさ)〉

帰る前にもう一度塔に上るとのことだったので、最後に大きい塔を登ることに。
すると何故か弟の後ろに付いていける姉がいる🫢
途中で登り方がわからないとの事だったので、
引率者の鶏が手とか足とかの位置を教えていく内、
塔の真ん中くらいまで登れたのだった(高さは3mくらいだから怖がってた10倍の高さやん⋯)
先に進んでた弟は、鶏と二人で大きい塔のてっぺんまで登った(大きい塔はめっちゃ高い)、
なんていうか⋯
すごい成長速度だね二人とも


結果
姉は高さ30㎝から5m程の高さの小さい塔を踏破し、
弟はこの公園を完全制覇していた⋯。
恐怖は
知らない、わからないが根本にある事が多いです。
降りれるのかな、
落ちたらどうなっちゃうんだろうみたいに。
そして起こってもいない想像で現実の足が竦む。
これって大人か子どもかとか
男女とか
勇気が無いとかは関係なく
ただ【恐怖】は
自然と自分に触れる感情そのものに過ぎず
【できるかできないか】は怖いからではなく
単に知っているか、わかっているかの違いでしかないのでは⋯と。
自らの恐怖を知るって
才能や感性や努力のような
磨いていくものではないし、
目を瞑って勇気を出すものでもない。
むしろ目をかっぴらいて自らを見ることで
怖がる自分、動かない自分、諦める自分の姿を知って
その裏で隠れ潜む
楽しむ自分、踏み出す自分、望む自分の姿を理解する。
その人の本当の答えのようなものは
自分に素直な気持ちから回答されるものなのかも。
と感じる一幕でした。

恐怖ってなんというか、面倒くさい感情ですが
自分を教えてくれる大事なものかもしれないですね🎁
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